失われた視力を取り戻せる日が来るのか ― 網膜再生医療の最前線
「この患者さんの視力を取り戻すために、何ができるだろうか」
2026年、米国の眼科研究者Edwin M. Stone先生が、眼科学の国際学会ARVOで行った記念講演の中で、一人の患者さんを紹介しました。
66歳の男性で、病名は網膜色素変性。長い年月をかけて視力が低下し、現在はわずかに光を感じる程度しか見えません。
網膜色素変性は、光を感じ取る「視細胞」が徐々に失われていく遺伝性の病気です。一度失われた視細胞を元に戻すことは、これまで極めて困難とされてきました。
ところが今、失われた視細胞そのものを新しくつくり、網膜に移植するという研究が進められています。
40年前、研究は家族の診察から始まった
Stone先生が遺伝性網膜疾患の研究を始めた1980年代には、病気の原因となる遺伝子はほとんどわかっていませんでした。
1987年、先生は黄斑部に異常のある34歳の女性を診察しました。家族にも同じような症状の人がいると聞き、親族が経営するレストランに60人以上の家族を集め、診察と採血を行いました。
その結果、この家族が「Best病」という遺伝性黄斑疾患であることが明らかになり、その後の研究によって原因遺伝子が存在する染色体の領域を特定することに成功しました。
当時は家族を一人ひとり診察し、血液から遺伝子を調べるという地道な研究でした。
それから約40年。現在では400種類以上の遺伝子が遺伝性網膜疾患に関係することがわかり、遺伝子そのものを治療する時代が到来しています。
遺伝子治療にも限界がある
遺伝性網膜疾患の治療では、異常な遺伝子の働きを補う「遺伝子治療」が注目されています。
実際、RPE65という遺伝子の異常による網膜疾患では、Luxturna(ラクスターナ)という遺伝子治療薬が実用化され、視機能の改善が報告されています。
しかし、多くの遺伝性網膜疾患では、遺伝子治療の主な目的は病気の進行を遅らせることです。
なぜなら、遺伝子の働きを正常に戻すことができても、すでに失われてしまった視細胞を復活させることはできないからです。
冒頭に紹介した66歳の患者さんのように、視細胞がほとんど残っていない場合には、遺伝子治療だけでは視力の回復が期待できません。
そこで研究者たちが取り組んでいるのが、視細胞そのものを新しくつくって移植する「網膜再生医療」です。
自分の細胞から、新しい網膜をつくる
Stone先生らが研究しているのは、iPS細胞を利用した新しい治療法です。
まず患者さん自身の皮膚から細胞を採取し、iPS細胞を作製します。そして、病気の原因となる遺伝子変異を修正したうえで、光を感じる視細胞のもとになる「視細胞前駆細胞」へと分化させます。
さらに、視細胞を支える網膜色素上皮細胞も作製します。
これらの細胞を、非常に薄い生分解性の足場材料の上に重ね、網膜の構造に近い多層の移植片をつくるのです。
研究では、約300万個の視細胞前駆細胞を用いた移植片の作製が進められています。
興味深いのは、細胞をばらばらにして移植するよりも、足場材料に載せて移植した方が、実験的に高い細胞生存率が得られていることです。
また、網膜色素変性では視細胞が失われても、視覚情報を脳へ伝える内側の神経細胞が長期間残っている場合があります。
新しく移植した視細胞が、この残された神経回路とうまくつながれば、再び光を感じ取れるようになる可能性があります。
人への移植を目指して
現在、研究チームはブタの網膜変性モデルを用いて、移植手術の方法を検討しています。
将来的には、光を感じる程度、あるいはそれ以下の視力となった患者さんを対象に、網膜色素上皮と視細胞前駆細胞を組み合わせた移植片を黄斑部に移植する臨床試験を計画しています。
もちろん、まだ研究段階です。
移植した細胞が長期間生存できるのか、正常な視細胞として働くのか、周囲の神経細胞とつながって実際に視力を回復できるのか。解決しなければならない課題は数多く残されています。
現時点で、こうした移植によって人の視力が回復することが証明されたわけではありません。
それでも、これまで治療が難しかった患者さんに、新しい可能性が生まれつつあることは確かです。
失明を防ぐ医療から、失われた視力を取り戻す医療へ
40年前、遺伝性網膜疾患の研究は、病気の原因となる遺伝子を探すところから始まりました。
現在では、その遺伝子の異常を修正する治療が開発され、さらに失われた網膜の細胞そのものを再建しようとする研究へと発展しています。
病気の進行を止めるだけでなく、失われた視力を取り戻す
かつては夢のように思われたことが、少しずつ具体的な研究目標になってきました。
実際に患者さんの治療として広く利用できるようになるまでには、まだ時間が必要でしょう。
しかし、40年間にわたる研究の積み重ねが、これまで治療法のなかった患者さんに新たな希望をもたらそうとしていることに、眼科医療の大きな進歩を感じます。
参考文献
Stone EM. The First 40 Years of Molecular Ophthalmology Part One: Inherited Retinal Disease: The 2026 Friedenwald Lecture.
Investigative Ophthalmology & Visual Science. 2026;67(12):43.
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理事長・院長